東京高等裁判所 平成11年(ネ)6355号 判決
被控訴人兼控訴人(本訴被告・反訴原告。以下「一審被告正雄」という。) 武内正雄
被控訴人(本訴被告。以下「一審被告シン」という。) 武内シン
右両名訴訟代理人弁護士 相磯まつ江
同 芹澤眞澄
主文
一 一審被告正雄の控訴に基づき、原判決中一審被告正雄の敗訴部分を取り消す。
二 一審被告正雄と一審原告の間において、一審被告正雄が別紙物件目録一記載の土地につき、賃料を月額一万三一〇〇円、期間を平成二三年一一月二一日までとする賃借権を有することを確認する。
三 一審原告の控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも一審原告の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 一審原告
1 原判決中一審原告の敗訴部分を取り消す。
2 一審被告正雄は、一審原告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して同目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を明け渡し、かつ、平成九年二月二二日から右明渡済みまで一か月三万九三〇〇円の割合による金員を支払え。
3 一審被告シンは、一審原告に対し、本件建物から退去して本件土地を明け渡し、かつ、平成九年三月一日から右明渡済みまで一か月三万九三〇〇円の割合による金員を支払え。
4 一審被告正雄の反訴請求を棄却する。
5 訴訟費用は、第一、二審とも一審被告らの負担とする。
二 一審被告正雄
主文一、二、四項同旨
第二事案の概要
本件は、本件土地を所有してこれを一審被告正雄に賃貸していた一審原告が、本訴において、本件土地上に存する本件建物が朽廃したことにより賃借権は消滅した、又は、一審被告正雄の背信行為を理由として賃貸借契約を解除したと主張し、一審被告正雄に対し本件建物の収去及び本件土地の明渡しを、本件建物に居住している一審被告シンに対し本件建物からの退去及び本件土地の明渡しを、並びに、両者に対し明渡済みまでの賃料相当損害金の支払をそれぞれ求めたところ、一審被告らは、本件建物の朽廃による賃借権の消滅及び背信行為を理由とする賃貸借契約の解除をいずれも争い、一審被告正雄は、反訴において、本件土地の賃借権の存在確認を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 一審被告正雄は、昭和二六年一一月二一日、藤澤雅子ないし高木嘉久から、目的は普通建物所有、期間は二〇年、賃料は一か月坪当たり一〇円との約定で本件土地を賃借し、その引渡しを受け(この賃貸借契約を「本件契約」という。)、昭和二七年四月二〇日、本件土地上に本件建物を建築した。
2 本件契約は、昭和四六年一一月二二日、合意により更新され、賃貸借の期間は平成三年一一月二一日までとなった。
3 その後、平成元年八月三〇日、訴外光徳建設株式会社(以下「光徳建設」という。)が本件土地を買い受け、さらに、平成四年一月一〇日、一審原告が本件土地を買い受け、それぞれ本件契約による賃貸人の地位を承継した(一審原告が賃貸人の地位を承継した時点の最終合意賃料は、一か月一万三一〇〇円である。)。
4 一審被告シンは、一審被告正雄の実姉であり、本件建物に居住して本件土地を占有している。
二 主要な争点
1 本件建物は朽廃していたと認められるか。
2 一審被告正雄の行為は、一審原告との信頼関係を著しく破壊したと認められるか。
三 主要な争点に関する当事者の主張
1 一審原告
(一)(本件建物の朽廃について)
(1) 本件建物は、昭和二七年四月二〇日に新築された木造平家建の建物で、建築後既に四五年以上経過しており、本訴提起の時点において既に朽廃していた。
(2) 原審では、鑑定人泉宏による鑑定(以下「本件鑑定」という。)が行われたが、同鑑定人は、本件建物の朽廃の可否が判断不能となっているのに、裁判所の鑑定人としてなすべき調査を怠ったため、工事による影響を正しく考慮せず、一部分の鑑定に基づく推測により本件建物全体としては朽廃状態に至っていたと断定はできないとの誤った結論を導いたものである。
(3) 一審被告正雄は、本訴提起後である平成九年四、五月ころ、本件建物の改築工事を行ったが(以下この工事を「本件工事」という。)、本件建物は、本件工事以前に既に朽廃していた状態にあった。本件工事は、単なる修理の範囲を超え、本件建物の駆体にまで及ぶもので、本件建物の耐用年数を著しく延長させ、それ以前の本件建物の朽廃の可否の判断を不可能にさせるものである。そうすると、一審被告正雄の行為は、裁判所の鑑定の対象物件を毀滅させ、鑑定を不能にしたものであるから、民事訴訟法二三二条一項及び二二四条により、一審原告の朽廃の主張を真実と認めるべきである。
(二)(信頼関係破壊による解除について)
(1) 一審原告は、光徳建設が本件土地を所有している当時から同社の委任を受け、本件土地の管理を行ってきたものであるが、平成三年一一月の本件契約の更新時から、一審被告正雄と更新条件に関する交渉を行い、更新料の支払と賃料の増額を求めてきたものであり、平成四年四月中旬ころ、一審被告正雄の提案に応じ、更新料を四〇〇万円とすること、賃料を一か月三万円とすることで口頭の了解がされ、書面化する手続を進めたが、一審被告正雄は、同年五月、右更新料の支払を拒否するに至ったばかりか、賃料の増額についても従前の額を維持する旨主張するに至った。
(2) 一審被告正雄は、一審原告が本件建物の朽廃を理由に本訴を提起し、第一回口頭弁論期日を経たにもかかわらず、早急に朽廃の証拠を隠滅すべく、本件建物につき本件工事を行った。これは、一審被告正雄が本件契約更新時に当時の賃貸人との間において作成した土地賃貸借契約書(甲四、乙一五)第七条(本件建物の増改築は賃貸人の承諾を得る旨の条項。以下「本件特約条項」という。)に反し、かつ、本件建物の朽廃に関する判断を不可能ならしめるものである。
(3) 以上の一審被告正雄の行為は、賃貸人と賃借人の信頼関係を著しく破壊するものであるから、一審原告は、一審被告正雄に対し、平成九年七月一六日、本件契約を解除する旨の意思表示をした。
2 一審被告ら
(一)(本件建物の朽廃について)
(1) 本件建物は、一審被告シンが現に居住していたものであるから、建物としての社会的経済的効用を失っておらず、本件鑑定においても、本件建物の朽廃を認定することはできないとされている。
(2) 一審被告正雄が本件工事を行ったのは事実であるが、本件工事の内容は、主として内装に関する修理であり、その他、屋根の一部を葺替えし、他の屋根部分にトタンをかぶせ、さらに、外壁の工事は既存外壁の上にサイディングを貼り付けたにすぎないものであるから、本件建物の耐用年数の延長をもたらすものではない。
(二)(信頼関係破壊による解除について)
(1) 一審原告と一審被告正雄は、一審原告が主張する更新料の支払及び賃料増額を了解したことはなく、一審原告が一方的に一審被告正雄に対し、これらを求めていたにすぎない。
(2) 本件工事の内容は、前記(一)(2) のとおりであるから、本件特約条項で賃貸人の承諾を得ることとされた本件建物の増改築には当たらないし、本件建物の朽廃に関する判断を不可能にするものでもない。
(3) したがって、一審被告正雄の行為は、一審原告との信頼関係を著しく破壊するものではないから、一審原告の本件契約を解除する旨の意思表示は無効である。
第三当裁判所の判断
当裁判所は、本件全資料を検討した結果、一審原告の本訴請求は理由がないからいずれも棄却すべきであるが、一審被告正雄の反訴請求は理由があると判断する。その理由は、以下のとおりである。
一 争点1について
1 借地法上の建物の朽廃とは、建物が建物としての社会的経済的効用を失う程度に至った状態をいうものと解されるところ、証拠(甲五の1ないし15、七、乙六、一四の1ないし9、一審被告正雄本人)によれば、一審被告シンは、本件工事の約半年前の平成八年一一月三〇日に病院に入院するまで、本件建物に居住していたこと、本件工事前の本件建物は、著しく老朽化しており、外壁やガラス戸の一部に壊れている箇所が見られるものの、差し当たって、本件建物を利用する上で倒壊の危険を感じさせることはないことが認められる。加えて、本件鑑定は、本件建物の主要構造をなす小屋組に関し、棟木や軒桁付近の野地板の一部に雨漏りによる腐朽の跡は見られるが、母屋・小屋梁の主要材に損傷はなく、部材としての保有耐力は十分残っていること、壁体の主要な部材の損傷も少ないこと、部材間の継手の緩みや腐敗、虫害、部材の割裂は一部を除いて見られなかったこと等を考慮し、本件工事直前において、屋根葺材や外壁杉下見板等の仕上材と土台の柱脚部の一部構造材は朽廃に近いものがあったと思われるが、小屋組材や他の構造部材の老朽状況からは、建物全体が朽廃状態に至っていたとは断定できないとの結論を導いている。これらを総合すると、本件建物は、それほど遠くない将来、建物としての社会的経済的効用を喪失するに至るであろうと認めることはできるものの、本件工事の直前はもとより、本件鑑定の時点においても、既に社会的経済的効用を喪失していたと解することはできないから、本件建物が朽廃したことにより本件土地の賃借権は消滅したとの一審原告の主張は失当である。
2 ところで、一審原告は、本件鑑定の鑑定人は、本件建物の朽廃の可否が判断不能になっているにもかかわらず、なすべき調査を怠ったため、本件工事による影響を正しく考慮せず、一部分の鑑定に基づく推測により本件建物全体としては朽廃状態に至っていたと断定はできないとの誤った結論を導いたと主張する。
しかし、本件鑑定は、従来の本件建物の写真(甲五の1ないし15、乙一四の1ないし9)を踏まえ、本件建物の現況(屋根裏や床下を含む。)を確認し、(一)外壁回りの土台は、過半にわたり土台の入替ないし補強がされたこと、(二)材質の変更を伴う屋根の葺替がされたこと、(三)壁について、創建当時の土壁及び杉下見板張りはすべてサイディングボードに改装されているが、柱・間柱は入替がされていないこと、(四)その他、引き戸、建具、濡れ縁、ドア等の交換、補修がされたことなど、本件工事による本件建物の状況の変化を正しく把握して検討し、前記1の結論を導いているものである。その推論の過程及び判断の手法等につき特に不自然不合理な点を見いだすことはできないし、鑑定人がなすべき調査を怠ったこと、あるいは、一部分の鑑定に基づく推測により結論を導いたことを認めるに足る証拠もないから、一審原告の主張を採用することはできない。
3 さらに、一審原告は、一審被告正雄が鑑定の対象物である本件建物に行った本件工事は、本件建物の朽廃の可否の判断を不可能にさせるものであるから、民事訴訟法二三二条一項及び二二四条により、一審原告の朽廃の主張を真実と認めるべきであると主張する。
しかし、前記2のとおり、本件鑑定においては、朽廃の可否が適切に判断されているから、本件工事が鑑定を不可能にするものであったということはできないし、そもそも一審原告が掲げる規定は、検証の目的物の提示又は送付につき、当事者が検証目的物を使用することができないようにした場合の制裁規定(真実擬制)であって、明文で規定されていない鑑定の対象物にまでこの規定の適用を広げるのは無理があるというべきである。したがって、この規定を適用して本件工事を理由に本件建物の朽廃の主張を真実と認めることはできない。
二 争点2について
1 本件契約が昭和四六年一一月二二日に更新され、期間は平成三年一一月二一日までとなっていたこと、右期間満了以前の平成元年八月三〇日に光徳建設が本件土地を買い受け本件契約による賃貸人の地位を承継したことは当事者間に争いがない。右の事実及び証拠(甲一、八、乙三の1、2、四の1、2、九の1、2、一四の1ないし9、一九、二一、二四、証人土屋義弘、一審原告代表者本人、一審被告正雄本人、鑑定の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足る証拠はない。
(一) 一審原告は、平成元年一二月一五日ころ、光徳建設の委託を受け、賃貸人である同社を代理し、主として当時本件建物に単身で居住していた一審被告シンとの間において、一審被告正雄が本件土地の底地を買い取り、あるいは、本件土地自体を売却するなどの方法により、一審被告正雄との間の賃貸借関係の解消を求める前提で交渉を行うようになったが、一審被告シンらの最終的な同意を得るに至らなかった。そこで、一審原告は、平成四年一月一〇日、光徳建設から本件土地を買い受けることとし(ただし、本件土地の所有権移転登記は、同年五月二五日にされた。)、本件契約による賃貸人の地位を引き受けたという前提で、一審被告らとの本件契約に関する交渉を引き続き行った。
(二) 一審原告は、本件契約の解消を希望していたものの、一審被告らとの間において合意が得られなかったため、本件土地の買受け以後、本件契約の更新を前提に、更新料の支払及び借地料の増額の交渉を行い、平成四年四月中旬ころ、一審原告の代表者と一審被告正雄が協議した結果、最終的に、一審被告正雄が更新料として四〇〇万円を支払い、賃料を従前の一か月一万三一〇〇円を三万円に増額することを検討することになった(一審原告代表者は、一審被告正雄において更新料四〇〇万円、賃料一か月三万円を提案したと供述しているが、一審被告正雄本人は、自ら金額を提示したことはないと供述してこれを否定しており、他に一審原告代表者の供述を裏付ける証拠はない。)。しかし、一審被告正雄は、同年五月ころ、右の条件による更新料の支払及び賃料の増額を拒絶し、結局合意は成立しなかった。
(三) 一審原告は、平成九年一月二三日、一審被告らに対し、本件建物は朽廃していると主張して本訴を提起した。これに対し、一審被告らは、本訴提起後である同年四、五月ころ、本件工事を行った。本件工事の内容は、本件建物の内装部分に関し、各居室の間取り等を変更するものではなかったが、各居室の床をフローリングとし、引き戸やドアを交換し、内壁を全般的に補修するなどしたほか、本件建物の駆体についても、外壁回りの土台の入替ないし補強を行い、屋根の葺替をし、さらに、外壁の回りにサイディングボードを施すというものであり、本件工事により本件建物の耐用年数はかなり伸長されることになった。
2 以上の事実によれば、一審被告正雄は、一審原告が本件建物の朽廃を主張して本訴を提起した後、本件建物の耐用年数の伸長を伴う本件工事を実施しているものであり、本件工事は、本件特約条項で賃貸人の承諾を要するとされた建物の改築に当たると解されること(ただし、甲四、乙一五によれば、これに違反した場合、賃貸人において本件契約を解除することができる旨の規定はない。)も合わせて考えると、一審被告正雄の行為は、賃貸人である一審原告との信頼関係をかなりの程度損なうものであったといわざるを得ない。
しかしながら、前記一において認定したように、鑑定人による本件鑑定が行われ、その結果、本件建物全体が朽廃していたと断定はできないとの鑑定意見が出されたものであり、これにより、現時点において本件建物は朽廃していないがそれほど遠くない将来には朽廃に至るであろうことが認められたのであるから、本件工事は、本件建物の朽廃の可否の鑑定を不可能ないし困難ならしめるものであるということはできない。また、一審被告正雄の本件土地の賃借権は、本件工事がされたかどうかにかかわらず、本件工事前の状態を前提として、本件建物が朽廃すべき時期において消滅すると解されるから、本件工事によって一審原告正雄の賃借権の存続期間が延長されることはなく、したがって、本件工事が賃貸人である一審原告に不利益を及ぼしたということもできない。
してみれば、本訴提起後にあえて本件工事を行った一審被告正雄の行為は、一審原告の一審被告正雄に対する不信感を増大させるものであり、看過することはできないが、これにより直ちに、賃貸借当事者間の信頼関係が著しく破壊されたと解するのは相当でないというべきである。
よって、一審原告の信頼関係の破壊を理由とする本件契約を解除する旨の意思表示は無効であるから、本件契約の終了を前提とする一審原告の本訴請求は理由がない。
三 反訴について
本件契約は、昭和四六年一一月二二日に更新され、賃貸借の期間は平成三年一一月二一日までとなっていたことは当事者間に争いがなく、右の時点において一審原告と一審被告正雄は本件契約を合意により更新していないから、本件契約は法定更新され、その期間は平成二三年一一月二一日までになったと認められる。また、一審原告が本件契約による賃貸人の地位を承継した平成四年一月当時の本件土地の最終合意賃料は、月額一万三一〇〇円であったことは当事者間に争いがなく、一審原告と一審被告正雄の間において賃料増額の合意は成立していないし、一審原告は一審被告正雄に対し賃料増額請求をしていないことは、一審原告が自認しているとおりである。そうすると、本件契約における本件土地の賃料は、右の最終合意賃料である月額一万三一〇〇円と認められる。
したがって、一審被告正雄が、本件土地につき、期限は平成二三年一一月二一日まで、賃料は月額一万三一〇〇円とする賃借権を有していることの確認を求める反訴請求はすべて理由がある。
四 結論
以上によれば、右と一部結論の異なる原判決は不当であるから、原判決中一審被告正雄の敗訴部分を取り消した上、本件土地につき右のような内容の賃借権を有することを確認し、他方、一審原告の控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩崎勤 裁判官 小林正 裁判官 萩原秀紀)
物件目録
一 所在 東京都文京区本駒込三丁目
地番 二二七番八
地目 宅地
地積 八五・八六平方メートル
二 所在 東京都文京区本駒込三丁目二二七番地八
家屋番号 二二七番八
種類 居宅
構造 木造セメント瓦亜鉛メッキ鋼板交葺平家建
床面積 三八・九六平方メートル